上記の写真は
今から20年ほど前、
岩手県浄法寺町にある
天台寺あおぞら説法会に
参加した時のものです。
秋の大祭と兼ねた説法会だったので
団体ツアーの客も多く
広大な境内が数千人の参詣者で
所狭しと埋め尽くされていました。
ブルーシートに座りきれなくて、
境内の土手や木に登って座る人まで!
その自由な雰囲気が魅力的な会でした。
天台寺周辺は、かつて
「浄法寺塗り」で栄えた地域。
近年衰退していたけれど
寂聴さんが毎月開く説法会のお陰で
全国から沢山の方々が町に来て
その為に道路が整備され、
地元民が民宿を開業し、
特産のお土産も買ってくれて
地域全体が復興した、と
地元の方々が感謝して語ってくれました。
世間からの毀誉褒貶は常の事、
私も坊さんとしての寂聴さん#に対して
偏見を持っていた時期もありました。
でも、浄法寺町を訪れてみて、
過疎の町や天台寺を復興し
お寺に集まった参加者の
笑いと涙に包まれた雰囲気に
本物の僧侶・寂聴さんを見た
想いがして感動しました。
話は変わりますが、東日本大震災後、
東北の被災地を慰問して回る
寂聴さんのドキュメントを観ました。
岩手、宮城での慰問は
おおかた好意的に受け入れて下さった様子でした。
しかし、福島での慰問は様子が違いました。
被災者の方々の表情は固く、
寂聴さんを見つめる視線も
どこか冷めた、あきらめの表情を感じました。
福島が直面している現実は、寂聴さんの法話で
場が和めるほど容易いものでは無いことが
画面からも伝わってきました。
そこで寂聴さんは法話を早々に切り上げ、
被災された方の背中に手を当て、肩を揉みながら
声をかけはじめたのです。
その時初めて、こわばった表情だった被災者の方が
ポツリと涙をこぼされました。
その後、映し出された寂聴さんの厳しい表情からも
福島の深刻さが伝わってきたことが印象に残っています。
余談ですが、法話で著名な由緒ある寺の和尚さんが
被災地を慰問に訪れて、懸命に法話をしたけれど
自分の無力さに苦悶するドキュメントを観たことがあり、
妙に納得したものです。
ハンガーストライキを実行した寂聴さん。
「私は今まで何でも経験してきたけれど
牢屋には入ったことがない。
戦争反対を訴えて牢屋に入るなら
それでも結構です。
戦争だけは絶対ダメです!
国が誤った方向へ国民を導かないよう
私たちは、国の方向性をしっかり監視しましょう!」
と最後まで訴えておられました。
これも余談ですが、
俳優の故・植木等氏の父は僧侶で、
戦争反対を訴え牢獄に入りました。
作家の故・永六輔氏の父も僧侶で、
永さんも戦争の酷さを訴え続けた方です。
お釈迦様の説法に
武力で平和を作る教えはありません。
寂聴さんの師匠は
故・今東光師です。
今師は週刊プレイボーイで
「極道辻説法」と題する人生相談コーナーを持っていました。
悩める若者に、時には過激な文言や罵声を
浴びせながら、その根底に深い愛情をもって
アドバイスを与えておりました。
寂聴さんの人生相談に繋がる
師匠からの系譜だったのかもしれません。
これはガセネタかもしれませんが、
寂聴さんが仏門に入る時に
日蓮宗を選んだそうですが
出家願いをした住職に断わられ、
作家の先輩だった今師を通して
天台宗の僧侶になったと耳にした事があります。
寂聴さんの行動力や気概を見れば
日蓮聖人の精神に沿う部分が多く、
ピッタリだったと思うのですが如何でしょうか?
気骨ある昭和の人は遠くなり、
の感が否めませんが、その精神を繋いで
世に問い続けていくことが
先人たちへの弔いであると感じています。
寂聴さんの逝去に、つらつら記してみました。