不朽の名作『ひまわり』。
ロケ地となったウクライナに
広がるヒマワリ畑の平原には
第二次大戦で亡くなった
イタリア兵やロシア兵、
ドイツ兵が眠っているそうです。
ビットリオ・デ・シーカ監督は
恋人が引き裂かれる姿を
通して反戦を訴えたといいます。
平和な日常=平和ボケではありません。
自らは手を汚さず、楽して金儲けをしようと
企む輩を平和ボケと呼ぶのです。
日本も家庭で銃を保持しよう!≒ 日本も核武装しよう!
この感覚は非常に似ています。
日本でも憲法第9条を改正、撤廃との世論が
強まってくると思います。
しかし、いざ戦争になったら民間人を徴兵する法律も
制定されてくるだろうし、改正論者は自分や子供、孫が
戦争に行くリスクを納得して言っているのでしょうか?
民間人を徴兵する法律には反対、
けれど第9条を改正・撤廃!と
国民の都合のいい方向には進まないと思います。
ロシア・ウクライナのように、
戦争はある日、突然起こり
日常がガラリと変わってしまうのです。
一番の犠牲壇に立たされるのは
いつの時代も最前線の兵士、
そして一般国民なのです。
だからこそ国が対話や経済制裁を真っ先に
行うのが大事だと思います。
それでもダメなら、どうするか?
お釈迦様が仰った
『殺すなかれ、殺させるなかれ』
『やったら、やり返せ』ではなく
『やった事は、必ず我が身に返ってくる』
のお言葉は、非常に強い覚悟と
責任を伴います。
その理由は
お釈迦様の王族・釈迦一族が
皆殺しにあっているからです。
安全な日本に暮らしながら、私も含め
口で平和を唱えるのは、たやすい事です。
それでも平和を訴え続けていかなければ
ならない。
政治に関心を持ち、選挙では
党利党略でなく、平和な国つくりができる
人物に投票しなければならない。
そして不穏な状況には、
モノいう国民でなければならない。
日蓮聖人が偉大なのは、
一人、山の中で瞑想する聖者ではなく、
国や社会に問い続ける僧侶だったからです。
対岸の火事、と無関心になった時が
悲劇の始まりなのだから。