お坊さんの独り言

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残念なこと

時折、紹介で
法事に伺う事があります。
通常は、葬儀を勤めた住職に
その後の49日忌や一周忌等を
依頼するものですが、
何らかの事情で、その住職ではなく
私の元へ依頼が来るという流れです。
その住職の檀家や信者ではない、という
条件でお受けしますが、
法要当日に初めてお会いする訳ですから
檀家や信者とは違った、気遣いが
お互いにあります。

実は初対面でお会いする
ご遺族の視線に
僧侶に対する不信感と怒りを
感じることが実に多い、
その理由をお分かりでしょうか?

恐らくは、葬儀を執り行った
住職に大きな不満と失望を覚え、
その印象を私にも向けているのだろうと
容易に想像できるのです。

位牌を見ると、俗名の御霊も多い。
俗名が故人や遺族の希望であれば
構わないのですが、経済事情で、
残念ながら、という方々も多い。

コロナ禍で葬儀法要を縮小、
あるいは葬儀自体をせずに
火葬場へ直行、というケースが増えて
参りました。

そのような傾向でも
住職に来て頂き、お経を上げてもらいたい、
遺族の悲しみを少しでも癒してもらいたい、
という人々の要求も確実にある訳です。

なのに、
愛する人を失う悲しみの真っ只中で、
供養して頂く住職の対応に更に
傷つけられた。
そんな一連の出来事が、
初対面で法事に伺った際の
遺族の冷たい視線に
表れているのです。

実に残念な事です。
正直、もっと早く
私とご縁があれば、
こんな状況にならなかったのに、
と思ってしまいます。

そのような雰囲気に呑みこまれないよう
私は真摯に読経と法話を勤めます。
不信感の心には、
誠意ある真心しか通じないからです。

法要終了後、多くの遺族の方々は
強張った表情を緩め、
安堵から笑みを浮かべる人もいます。
これで故人がうかばれる、
と感じて下さる。
真心が通じた事に、私も嬉しくなる瞬間です。
このようなケースを
今まで幾つも経験しました。

このご縁から、その後の年忌法要や
家族の葬儀を依頼される事もありますし、
家族の悩み相談に携わる場面も
出てきます。
勿論、初回の法要だけで
関係が終わってしまうケースもあります。

ともかくも、葬儀や法事といった
非日常的な儀礼は、人生の中で
度々関わる事ではありません。
だからこそ、そこに関わる住職には
遺族の気持ちに寄り添った真摯な
対応をして欲しいと思います。

また、遺族の方々も
心から信頼して、その後のお付きあい
も安心して出来る、お寺や住職を
選んでもらいたいと願います。

かかりつけ医と同様、
かかりつけ住職と信頼関係を
結んでおく事が、
死後の法要儀礼だけでなく、
人生の荒波を乗り越えていく、
一本のオールになるはずです。