10月13日は日蓮大聖人の
739遠忌に当たりました。
お会式(えしき)といって、ご報恩の為に
全国の日蓮門下は盛大な法要を営みます。
今年はコロナ禍で規模縮小のところが多く、
私の妙法庵でも人を集めての法要は中止、
私一人で法要儀式を営む予定です。
かつて五來重という著名な
仏教民俗学者がおられました。
日立市出身、東京帝大を卒業されて後、
日本各地をフィールドワークして
民衆に根付いた日本仏教を実地研究された
碩学です。
日本仏教という「土着の民族宗教と融和した仏教」は
五來博士によって、解明されたとっても
過言ではありません。
一般人向けの著書も多く、
地方の伝承や習俗にまつわる
仏教行事の紹介などは、
宮本常一著の『忘れられた日本人』を
読むような興味深さがあります。
五來博士がこんな言葉を残しています。
「一般民衆はパンを求めているのに、
僧侶は石を与えている」
この言葉は様々な解釈ができますが、
博士の言わんとする意味は
「寺や僧侶と、檀家・一般人との意識のズレ」です。
現状にも通じることではないでしょうか?
739遠忌を迎えての報恩法要も
儀式だけで終わっていいはずはないのです。
荘厳された御宝前に向かうだけでなく、
民衆に面と向かってこそ
僧侶の役目はあるはずです。
大上段に法を説け!というのでなく、
無力であっても、悩める人に
真摯に向き合う僧侶や寺であって欲しい。
伝統や権威という「石」でなく、
人として当たり前の温かい「パン」を
与えて欲しい。
そんな五來博士の主張だと思うのです。
私自身の自省も含めて、
お会式に感じたことを記してみました。