今年最後の法話会、
ご縁の方々が集まって下さいました。
年末ご多忙の中、時間を作って
仏教に触れて下さるのは
何よりも尊いことです。
いつも思うのですが、
こういう集いは義理や強制で
参加するものではありません。
求める心あってこそ、です。
不思議にも、こうしてご縁を結んで頂き
一緒に太鼓を叩いてお題目を唱えて下さることが
私にとっても一番うれしいことなのです。
最近、読経よりも私自身の口から発する
法話をメインにして欲しい、
というご要望がありました。
私の口下手な法話を聞くより
皆さん自身が読経して仏法に
触れていただく方が宜しいと
捉えていましたが、今回より
法話にもウエイトをかけて
開催して参りますのでご了承下さい。
人は健康で長生き、日々の暮らしにも
困らない程度のお金があって
家族円満、それが何よりの幸せ・・・・
でも、何か欠落していませんか?
それは、
神様や仏様の実在を信じられない。
常に救済の手を差し伸べている神仏に
目を向けない、拒絶すらしている、という
現代人の傲慢さではないでしょうか?
キリスト教では原罪と呼んで
人が神の実在を信じられないことが
一番の罪であると説きます。
人が誕生した時、生活している時、
そして死ぬ時、
自分の意識がどこと繋がっているか?
その最前線に神様や仏様の実在と
繋がっていることは、とても必要です。
なぜなら、此の世は「無常」だから。
つまり、人生は自分の思う通りにいかない、
苦しみの連続だからです。
だから、「本物の」信仰をもって頂きたい。
迷信ではなく、自分の一生を賭けても
神仏と繋がる必要性を追求して頂きたい。
今回、そんなお話をさせて頂きました。
翌日、韮崎駅近くに聳える
平和観音様を参拝。
昭和33年、戦後の恒久平和を祈って
建立された観音様です。
韮崎市民による平和希求の意識に
敬意を表します。
正面に富士山、後方には八ヶ岳を望む
絶景の聖地です。
その後、身延山に移動し
今年一年の御礼参りとして
日蓮聖人のお墓・御廟所にて
読経して参りました。
日が陰り、底冷えでしたが
気持ちが引き締まる聖地で
太鼓を打ち鳴らして参りました。
山梨県は
自然と寺院仏閣が調和する場が多く
本当に美しいところです。
報道されました。
農業で体を動かす高齢者が多いのと
「無尽」という相互扶助の機会があって
人の繋がりが保たれているのが一因と
聞きました。
割烹料理屋さんの看板にも
「無尽、承ります」とあるくらい
定期的な会合が県民同士を繋いでいるようです。
加えて、地域の伝統行事、
神仏への祭祀も怠ることなく
連綿と続けている地域が多く
自然と信仰心というものが
醸成される県なのでは、傍から見て
感じます。
何はともあれ、
今年も一年、山梨の方々には
大変お世話になりました。
心より感謝と御礼を申し上げます。