お坊さんの独り言

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成道会のお手紙

12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた日と
伝えられております。
成道会(じょうどうえ)と申します。

 

その遺徳に倣って8日まで一週間の御修行に
励むことを蠟八接心(ろうはちせっしん)といい、
禅宗では座禅三昧に精進します。

 

日蓮宗では特に定められていませんが
日本山妙法寺では断食・断水で

お題目を唱え続ける
御修行を勤めます。
水も断ってお題目を唱え続けるのは
肉体が死に傾いていく
大変キツい御修行です。

 

怠け者で意志薄弱な私も、
例年この蠟八断食行にご一緒させて
頂いていますが、今年は諸事情で御修行
出来ませんでした。

 

長年、蝋八を勤めるだけでなく
毎月の御断食修行にも精進される
M上人様よりお手紙を拝受しました。

 

今年は殊に寒さ厳しく、
曇天が多かった日々の中、修行を成満された
8日の朝、静かな払暁の中でしたため
下さったお手紙でした。

                         
『人の恐れるものは死の影と申します。
 我が命が奪われることは何より恐ろしい。
 それ故に「成仏為り難し』であります。

 人は死、三世の中に我が命の在ることを

 実感できぬままに、あの世に旅立ちます。
 六道輪廻とは、これであります。
 肉体の命、死の自覚こそが

 五百塵点劫の中を生きる
 わが命の勇躍する所であります。』

 

日蓮聖人は法華経とは
 どうにもこうにも行き詰った人間、

 時代の為の是好良薬(特効薬)だと仰います。
 つまり、現代という時代は
 核の脅威や国難、あらゆる危険困難が

 目前にあり、毒薬の極まった時代です。
 毒まみれを食べ、受け入れざる得ないのが現代人です。

 では、お題目の功徳とは如何なるものでしょうか?
 藤井日達上人曰く、

「それは唱えた者でなければ
 分かりません。」
 分かるものではなく、

 唱えて唱えて、

 罪のかたまりである事を自覚しない
 狂人(我々現代人)の病が直ることです。』

 

毎年、蝋八修行明けに届く法門のお手紙は
心底尊く、御宝前に端坐して拝読しております。
日蓮聖人からお手紙を拝受した弟子・信者の方々は
このようなお気持ちだったのかな?と
ふと思います。

 

何が有難いのかと申せば、
M上人様自身が深い罪業の自覚と
救いを求め続ける姿勢を示して下さるからです。
見識ぶった姿勢ではない、言葉に嘘がない。

 

齢80歳を超え、地位や名誉や金銭とも縁遠く
(本来、仏教徒がそんなものを

求めること自体が顛倒なのですが)
お題目の求道を続ける御姿は
私たち後進の者にとって
生きた教えであり、何よりの励みであります。

 

良き仏縁を結んで頂きたいと
ご縁ある方々に紹介させて頂いております。
一度きりの御出会いでも、

『人間に生まれる事難し、
 ゆえに仏法に遭うこと難し、
 なかでもお題目に出遭うこと甚だ難し。』
と受け止め、上記お手紙の一節を
謹んで紹介させて頂きました。