「道」と名がつくものには
必ず師匠が必要です。
師匠に弟子入りして、
起居振る舞いを
真似ながら道を学んでいき、
基礎をつくりあげます。
仏道修行のお師匠さまが
身延の道場に立ち寄って下さいました。
師のお寺から独立して以後、
今では年に数回しかお会いしないので
久しぶりに膝を交えて歓談できました。
読経をする師の後ろ姿を見ていると
重ねてきた齢を感じ、なんともいえない
感慨をもちます。
小僧時代、そして独立してからも
師匠には色々とご面倒をおかけしました。
今日、私が僧侶になれたのも
基礎をしっかり教え込んで下さった
師匠のお陰です。
師は、親や先輩とは全く違う存在です。
ビジネスシーンのメンターとも
意味合いが違います。
「親子は一世
夫婦は二世
師弟は三世の縁」
というくらい、
出会うべくして
師弟関係を結ぶものでもあります。
人はそれなりの年齢になると、
指導されることが少なくなり、
自我ばかり大きくなって
人の意見というものが
鬱陶しくなる傾向があります。
師とは、そんな我欲まみれで
「分かったつもり」の大人を
指導して下さる存在です。
人生の軌道修正をつけて下さいます。
個人の尊厳・自由さも大切ですが、
人はそんなに尊くも賢くもありません。
滅私とは、決して自己犠牲の意味ではなく、
むしろ、我欲からの解放だと思います。
そこに師について学ぶ意味があります。
いくつになっても弟子は弟子。
そして、師から学んだものを
広く社会に還元していくことが
何よりの報恩だと思って
自称・不肖の弟子は
活動しております。