お坊さんの独り言

活動詳細はHP「妙法庵」で検索ください

ご出家の詩集

M上人様より頂いた詩集を

久しぶりに拝読、ここにその一編を

掲載させて頂きます。

先ずは、その巻頭言に記された先師の御言葉です。

 

「宗教は人間に礼拝を教えます。

 他人を礼拝する事を教えざる宗教は

 現代を救う宗教ではありません。 藤井日達

 

「人生の苦痛の百分の九十九までは、

 人は皆兄弟姉妹であるとのことを、

 忘るるより来る者である。 内村鑑三

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「自由人」

 

獄中に閉じ込められし囚人より

我をみれば

我は自由の身なり。

 

病臥に伏せし病者より

我をみれば片足なりとも

歩行できる自由人なり。

 

けれども

五体満足にても

ああでもない、こうでもないと

不平たらたらに生きる人は

わが肉体に縛られた

不自由人なり。

 

脊椎カリエスの為に

六尺の病床の中で

俳句と文を綴った

正岡子規は心の自由人なり。

 

結核

三十八歳でこの世を逝った

宮沢賢治は多くさんの

詩と童話を書いた。

 

賢治の心は

今でも滅することなく

宇宙を巡っている。

結局のところ

自由人と不自由人の別れ道は

心の在り様なり。

f:id:myohouan:20171018140847j:plain

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

三冊目の序文は

縁あって私が記しましたので

M上人様の人となりを知る上でも

ここに掲載させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「M上人の風光」

 

御宝前で三敬礼を行う時には、

杖を支えに勢いをつけて立ち上がる。

ふんばりの吐息をもらしながら、

三回立ち座りをくり返す。

「座ったまま礼拝をしてもよいのでは・・・」

という側のお節介などお構いなく勤行に入る。

M上人の行に対する妥協しない

一貫した姿勢がここにある。

 

御上人のお題目の声は、

初めて耳にする者にとって

お題目と分からないような独特の響きがある。

 

「お題目は唱えるんじゃない、叫ぶんだ!」

 

その言葉通り、歓喜の雄叫びのような

叫びもあれば、哀調を帯びた音色もあり、

一度聞いたら忘れられない。

無明をぶち破って、三千大千世界を

一直線に突き抜ける魂の声・お題目。

 

古希を超えても

活火山のような情熱を失わず、

少年のような感性でモノを語る時には、

濁りのない澄んだ瞳を輝かせながら、

いっそう饒舌になられる。

大胆かつ繊細。

 

少子が心身ともに絶望の淵に立たされた時、

電話で相談した際にかけて下さった一言、

頂いたお手紙の一節、

薦められた書籍の一文、

そのどれもがストレートに心根に染みわたり、

深い悲しみの闇に光を差し込んでくださった。

 

単なる慰めではなく、叱咤激励でもなく、

同情もせず、けれど御上人の言葉は、

まっすぐ胸に届く。

それは御上人自身、深い闇をくぐり抜け

ご自身を底辺に置く生き様を

貫いている立場から発せられる言葉だからこそ。

 

「平和だからこそ、

 五欲に執着することも

 出来るんだな」

「片足を失ってから、

 初めて日蓮大聖人に対する

 信仰に気づいたよ」

時折、ハッと目が覚めるような事を仰られる。

 

「生きるとは?

 祈るとは?

 救われるとは?」

 

片足を失われて以来、

内村鑑三氏の聖書に深く親近し、

その本質に触れる中で、宗教や教義の違い、

組織の枠といった垣根からも跳躍し、

迷うことなく妙法の大海へ

飛躍していこうとされるM上人の現在がある。

 

三人目の子供(詩集)は、

より大きく深く生死・霊性の産声をあげている。

第三子のご誕生を祝福し、

日ごろのお導きに深く感謝申し上げます。

M上人様、我らの良き先達となり続けてくださいませ。合掌

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

M上人の詩集をご希望の方は

私宛にご連絡ください。

南アルプス市・切子六角堂祭礼

日蓮宗では

幣束を祭壇に祀り、

神仏を招来する儀礼があります。

明治の廃仏毀釈まで、

神道と仏教は互いに影響しあい

時には融合して、民衆に浸透してきました。

神道の幣束を仏教が取り入れたのも

その流れといえます。

f:id:myohouan:20171017171441j:plain

 

山梨県南アルプス市

六角堂祭礼は

切子という精緻な切り紙幣束を

奉納することで有名です。

日蓮聖人のご命日に行われた

年に一度の祭礼に、幣束の勉強も兼ねて

お参りさせて頂きました。

f:id:myohouan:20171017172140j:plain

沢登切子保存会」のHPには

切子について下記のような説明があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この「切子」は、美濃和紙を5枚~10枚程重ねて、

 図柄や模様などを「切り透かし」ていく

 まことに繊細な美しいもので、光に透くことから

 別に「おすかし」とも言われている。

 

 図柄や模様は、人物や花鳥風月など自由であるが、

 地紋として「麻の葉」を使わなければならないとされている。

 「切子」は、沢登の若者達によって作られるが、

 図柄を考え、仕上げるまで3ヶ月~半年もかかるので、

 その年の初めから制作に取りかかる。

 

 伝承によれば、今から三百数十年前の寛文年間

 (第六代将軍徳川家宣の頃)には、既に村人達が

 時の代官に献上していたとも伝えられている。

 「切子」は、祭りが終わる14日に、

 観音様のお礼や供物と共に区内全戸に配られ、

 家内安全のお守りとして神棚などに飾られ大切に保存される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

f:id:myohouan:20171017172611j:plain

お堂の周りには、地域の方々が

根気強く、長期間に渡って

切り上げた作品が祀られました。

小学生から大人まで、地域住民の力作は

職人の域です!

 

f:id:myohouan:20171017172637j:plain

f:id:myohouan:20171017172701j:plain

堂内では役員の方々が

直会の酒を酌み交わし、

境内の出店には

子供たちの歓声がありました。

 

このような伝統行事を

連綿と続けている地域は

やはり神仏に守られると思います。

 

その土地に根付いた文化を

大切に継承する祭礼を見て

心が温かくなりました。


  

宮沢賢治著 『オツベルと象』

耳で聴く名作、

朗読CDにて宮沢賢治の童話に

触れました。

彼の作品は擬音が多用されているので

朗読で触れると味わいが増します。

 

この作品をブラック企業

新入社員に重ねて考察したブログ、

添付させていただきます。

marunanahoshi.hatenablog.com

 

疲労困憊した一日を終えて

「サンタマリア・・・」と

独りつぶやく小象。

 

信仰とまでは云わなくても

その呟きに美しさを感じませんか?

 

名作の根底には

神仏や人智を超えた

大いなる「なにものか」が

テーマとしてあり、

だからこそ心を揺り動かされます。

 

法華信者の賢治ですが、

その枠にとらわれない

自由で壮大な信仰世界に

とても魅かれます。

 

 

 

 

 

 

 

日蓮聖人736遠忌

1282年(弘安5年)10月13日、

午前8時頃ご入滅、聖寿61歳。

(今年の暦では11月30日に正当)

 

f:id:myohouan:20171013150117g:plain

立正安国論』の冒頭は

骸骨、路に満てり・・

鎌倉時代の惨状描写から始まります。

日本人の10人に3人が

命を落としたという状況、

先の第2次大戦でさえ、

10人に1人という割合だった

そうですから、日蓮聖人が生きた当時は

想像を絶するものがあります。

 

立正安国論』に始まり

立正安国論』に終わるご生涯。

 

ある御僧侶から頂いた

お手紙にこう書いてありました。

 

「正法を行じて参りますと

 必ず世間の魔障が競い、

 勧持品の色読を体験せざるを

 得ないというのは、

 内村鑑三氏がキリスト教会の中で

 色読せざるを得ないという

 体験でもあります」

 

「求道の師は、宗教界に無く

 世間の日々厳しい生活の中で

 育まれて行くという気が

 致します。

 けれども、また神仏という

 絶対者を求めてやまない師も

 『爪上の土』として実在するはず

 でありましょう。

 願わくば、そんな師と出会い

 終生、求道の道を歩みたいと

 願うばかりです。」

 

 

お墓参り

f:id:myohouan:20171010200041j:plain

私が20代の頃、

住み込みでお世話になった

師匠のお寺は駆け込み寺でした。

様々な事情のある方々が

お寺で共同生活をし、

時が経てば去って行きました。

 

Yさんは家庭の事情で故郷を離れ、

70歳を過ぎた年齢で

お寺に住み込んだ、

忘れられない男性です。

 

数年後、周りの反対を押し切り、

本人の希望で特養ホームに

転居しました。

その際、私が施設まで送ったのですが

バックミラー越しに

いつまでも手を振る

Yさんの姿は

今だに忘れられません。

 

紆余曲折あって、その後の住まいも

転々とされ、手紙のやり取りや

時折訪ねては外食に連れ出したり

して交流を続けておりました。

 

晩年の数年間は、

故郷に戻ることができ、

息子さんと暮らすことが叶ったのが

ご本人にとって何よりの幸だったのでは、

と思います。

 

時折、ふとお墓参りに行かせて頂きます。

今日も秋晴れ、思い立ち墓参に伺いました。

墓所の草むしりをして、線香を手向け

読経しながらYさんに語りかけました。

 

お墓を掃除した後の

お参りは、気持ちが

さっぱりします。

なんとも言えない安堵感があります。

 

折よく、ご住職も境内で草むしりを

されていたので、お布施を包み

供養の卒塔婆を依頼しました。

 

f:id:myohouan:20171010200131j:plain

帰りに足を延ばして

諏訪大社の秋宮へ参拝、

その後、門前にある大衆温泉にて

身体を癒しました。

 

亡き人を供養しているようで

実は亡き人に助けられている。

心底、そう実感することが多々あります。

今日はYさんに心から癒された一日でした。

f:id:myohouan:20171010200319j:plain

 

 

 

 

 

摘み草サミット

甲州市塩山で開催された
「摘み草サミット」を拝聴してきました。
甲州市で長年、摘み草の活動をなさっている
鶴岡舞子さんの告知で知りました。
詳しくは、こちら

http://www.koshu-sci.jp/news/post-79.html

f:id:myohouan:20171009165403j:plain

会場は塩山駅前にある通称・甘草屋敷。
江戸時代に甘草を栽培し成した財で
建てられた素敵な邸宅で、

文化財に指定されています。
庭には今も甘草が栽培され、
町おこしに活用されているそうです。

 

f:id:myohouan:20171009165504j:plain

雑草という草は無い。
言葉通りの講演でした。
摘み草と呼んで、食用や薬用として
古来から重用してきた自然の恵みについての
お話は、とても新鮮でした。

町おこしは、金かけて建物作るんじゃなくて
足元にある摘み草から!という

講師のお言葉も納得です。
これ、あらゆる分野にいえますね。
お寺の世界にもいえることです。

 

長野県売木村で、
摘み草の食堂を経営されている

村職員の方が
最後にご挨拶されました。


標高800m、冬はマイナス20度まで下がり
夏は30度を越す、厳しい環境の村だそうです
けれど、不利な条件を嘆くのではなく、
村にあるものを創意工夫し商品価値を高め、
県外からも人がやってくる。

下記の写真は村で採れる
月別の摘み草料理一覧表です。

f:id:myohouan:20171009165606j:plain


どこにでも生えていて、馴染みのある
雑草、いや、摘み草の

調理法が記してあって
目から鱗です。


これを作製したセンスも素晴らしいと思います。
うちは何も無いと嘆く市町村は、

こういう場所へ
どんどん視察に行って、

学び取り入れていったらよいのに、

と思いました。

 

講師の篠原先生は、

摘み草研究の第一人者であり、
興味深いお話が多々ありました。


ゲンノショウコは薬効成分も考えて
夏至の日に採取するのが一番いいとか、
畑に広く繁殖するスベリヒユは、
DHAオメガ脂肪酸を多く含み、

胃痛などにも効くとか、
普段、摘んで捨てている

植物の成分と効能など
知らないことばかり。

f:id:myohouan:20171009165753j:plain


私は農家の育ちですが、これら摘み草の効能について
全くといっていいほど知らなかったし、

気にもとめませんでした。
昔の日本人は、これらを調理したり、

お薬にして生活を営んでいたんですね

 

この講演会には、山形や新潟など遠県から聴講に
来られた方もおり、関心の高さを示しました。
こうした意識ある方々が、大自然や古来からの叡智を
学び、実践していくことが後世へ最大の贈り物となります。
私もその一人として、自然との共生を掛け声だけでなく
日常に取り入れていきたいと思いました。

 

 

 

ご廟所参り

私が心より尊敬し、

僧侶の鑑と仰いでいる

日本山のM上人様。

ご信者さんと一緒に

身延参りに来られました。

f:id:myohouan:20171008194912j:plain

M上人様とは

15年ほどのお付き合いで

親子ほどの年齢差がありますが

信頼をもって何でも話せる間柄です。

お断食行や海外行脚にも

幾度かご一緒させて頂きました。

 

数年前、事故で

片足を失っておられますが

義足を付けてご修行に

励んでおられます。

そのお姿に教えられることが

多々あります。

f:id:myohouan:20171008200158j:plain

身延に来ると毎回、

ご廟所前庭にて

一時間の唱題行を行います。

 

「お題目は唱える、というより

 叫びだ!

 醜い己の魂を救ってくれ!

 と魂が叫ぶ声だ!」

 

きれいごとではない

人生の諸問題に

直球でぶつかってきた

M上人様のお題目は絶叫します。

f:id:myohouan:20171008200840j:plain

仏法に依って

人に依らざれ。

されど、

仏法は人によって尊し。

 

良き師に出逢うことは

何よりも尊いことだと

つくづく感じます。