春のお彼岸お中日、
妙法庵にて法要を行いました。
今回で丸一年、参詣者無しの法要です。
その分、長時間ゆっくりとお経を読み、
お題目を唱えて各家のご先祖様や
有縁無縁の精霊のご供養を営ませて頂きました。
「塔を建てて供養する」と説く
施餓鬼供養といって、
餓鬼道(むさぼりの報いによって、飢え苦しむ)に
落ちて苦しんでいるだろう霊に対して、
山盛りのご飯や茶水、食べ物を供えます。
「声、仏事をなす」と説く
法華経に従って、読経を捧げます。
このような法要儀式には、
亡き人の苦しみを、確かに救う効果があるので
古来から今日まで続けられてきたのでしょう。
迷信だとか、非科学的だといって
一蹴してしまうのは、浅識の謗りを免れません。
年中行事の一つ、先祖を大切にする精神性
といった捉え方より、もっと奥深いところに
宗教ごとの意味があるのだと思います。
私たちが生きている裏側には、死者が存在しており
お世話になった方々ばかりではない、
見ず知らず数多くの死者たちによって、
私たちは守られ、生かされているのだと
つくづく感じています。
日本人のお墓参りの習慣、
素晴らしい宗教性のひとつです。