お坊さんの独り言

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震災10年行脚

こんなに暖かく穏やかな天候の

大震災忌は、今まであったかな?

と背中に汗をかきながら、今年も

行脚しました。

今年は東京で住職を務める兄弟子と

二人で行脚、いわき市四ツ倉では

県内外から遠路来てくださった

ご信者さんもご供養に同行して

下さいました。

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例年通り、高萩市赤浜にある

日弁聖人のご廟所から出発です。

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北茨城市の海岸にてご供養。

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国道6号沿いにある地蔵堂

毎年、小さな卒塔婆を供えるのですが

一年間、地元の方が壁に貼って下さっています。

読経が終わり、お堂を出たら

地元の男性が合掌して立っておられました。

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北茨城市・二つ島付近。

童謡「赤い靴」の野口雨情生家が近くにあります。

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大津漁港も復興しました。

震災当時は、中央白い建物の上に

大型漁船が乗り上げ、

すさまじい津波の威力を見せつけられました。

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大津漁港の街中。

更地の場所も点々と残っております。

我々の太鼓とお題目を聞き付け、

出てきて合掌してくださる住民の方も

おられました。

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北茨城市・平潟漁港近くの

日蓮宗のお寺跡地。

震災の影響で取り壊しになりました。

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平潟漁港にて。

勿来駅まで行脚して、

四ツ倉駅まで電車移動。

歩数計は20900歩でした。

 

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例年通り、いわき市四ツ倉の

波立(はったち)海岸にて

最後のご供養。

昨年までは弁天島へ通行禁止でしたが

今年から解除になり、島でご供養を行いました。

 

今年は、ご信者さんたちが取り計らって下さり、

島前にある波立薬師の御住職に案内と説明を

いただくことが出来ました。

お寺も甚大な被害を受け、

御住職も避難の判断を間違えば

津波に飲み込まれる状況だったそうです。

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卒塔婆とお供物を海に捧げ、

法華経とお題目の

読経を行いました。

この近辺でも死者・行方不明の方々が

おられるとのお話でした。

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10年間、同じルートを歩いてきました。

防波堤など確実に復興は進んでいます。

地域住民の方々も、はた目には

当たり前の日常を送られているように

見受けられます。

 

なので、太鼓を叩いて

異例行脚の姿を見せるのは

忌まわしい記憶の甦りと

迷惑がられるかな?と感じることも

毎年あります。

そんな思いを吐露すると、

兄弟子がこんな話をしてくれました。

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とんち話で有名な一休禅師。

正月元旦のめでたさに浮かれる街中で

骸骨を竹の棒に刺し掲げながら

「正月や

 冥途の旅の一里塚

 めでたくもあり

 めでたくもなし」

と詠みながら歩いたとか・・。

 

「この行脚は慰霊供養も勿論ながら

 こういう意味合いも同時に

 あるんじゃないかな?

 いつまた同じような災害が

 起こるかも分からない

 無常の世の中に

 生きている事実を再認識して頂く

 啓蒙活動のようなもの。

 

 憂いにとらわれず

 今の享楽に埋没しないよう

 毎日を大切に誠実に生きること。」

 そんな兄弟子の言葉が

 ストンと胸に落ちた対話でした。

 

 来年も3月11日に歩かせていただきます。