江戸時代、水戸街道から
奥州街道と合流する岩沼までを
「岩城相馬街道」と称し、
両者を合わせて「浜街道」と
呼んでいました。
妙法庵の所在地・高萩市を通る
国道6号線は別称「陸前浜街道」と
呼ばれています。
その浜街道から奥まった
旧街道沿いに
日冬堂というお堂があります。
江戸時代末期、
日冬上人というお坊さんが
この地で布教中、村人から邪教扱いされ
殺されてしまい、明治になってから
慰霊碑が造られました。
しかし、どういうわけか
時の経過と共に慰霊碑が
埋没してしまったようです。
率先して廃仏毀釈を遂行した
土地柄ですから
石碑の扱いも想像に難くありません。
時代が過ぎて昭和60年代、
常磐自動車道の工事中に
この慰霊碑が地中から
発見されたそうです。
ところが、これ又どういうわけか
工事関係者がこの慰霊碑を
粗末に扱ったそうで、その後
怪我など不吉な出来事が多発し
地域の心ある方々が場所を選定して
この日冬堂を建立したそうです。
ご命日の24日がご縁日だそうです。
近隣の方々には「おめぐみ様」と呼ばれ
霊験あらたかな聖域として尊崇されています。
私はネットサーフィンで
この地を初めて知り、
卒塔婆を上げて
お参りしてきました。
昼間でも怖いくらい
雰囲気のあるお墓でした。
高萩市には
日蓮聖人の直弟子であり
北関東から東北を布教された
日弁上人のお墓があります。
このお坊さんも奥州で
念仏信者に殺されております。
一説によると日弁上人のお父様も
静岡県の熱原という地で
殉教されています。
「熱原法難」と呼ばれ
日蓮宗門を弾圧した大事件です。
お題目を広めるということが
命がけであったこと、
地元に祀られた
お二人のお坊さんの
足跡をお参りして
身が引き締まる思いを致し、
お題目の信仰に向き合い、
様々な想いが胸中を巡った次第です。