映画「おくりびと」の元となった本です。
以前から気になっていましたが、
時期が到来して引き込まれるように
読み終えました。
北陸富山に育まれ、
親鸞聖人の宗教性に打たれた
著者の言葉は本物です。
それは「納棺夫」として
蛆がむらがるご遺体に触れる
「現場」を体験しているからでは
ないでしょうか?
こんな文章がありました。
「・・・世の中がとっても明るいのです。
スーパーへ来る買い物客が輝いて見える。
走りまわる子どもたちが輝いて見える。
犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が、
小石までが輝いて見えるのです・・・・
このように全てが光に包まれた世界は、
普通の人には見ることができない。
親鸞は、見えなくてもいいのだという。
見えないままに、その不可思議光を信じなさいという。
救いようのない者たちよ、
みんな光の中にいるのだ。
今はただ、煩悩に遮られて見えないだけである。
しかし大悲(光)は永遠に輝いて、
私たちを照らしつづけている。
だから念仏を称えていればよいのだ
私は、湯灌・納棺をしていた頃、
死者と私だけがぽっかりと
光に包まれているような
奇妙な経験をしたことがある。
限り無い欲望の螺旋階段が、
何かの拍子に崩壊し、真っ逆様に
落下しながら見たものは、
か弱い生命の光であった。
焼け野原の戦災のあとにみる
一輪の花のようでもあった。」
「人は、自分と同じ体験をし、
自分より少し前へ進んだ人が
最も頼りとなる。・・・
親鸞には、少し前を行く
よき人(法然)がいた。
末期患者には激励は酷で、
善意は悲しい、説法も言葉もいらない。
きれいな青空のような瞳をした、
すきとおった風のような人が、
側にいるだけでいい。」
生死を別物と捉えることなく、
裏表一体と捉えられたら
どんなに心が軽くなる事でしょうか。
ご一読をお勧めしたい名著です。