震災以来、毎年続けている
慰霊と復興祈念の行脚です。
3月11日、高萩市から国道6号沿いを
一緒に祈り歩きたい方は、事前にご連絡ください。
高萩市も当然ながら被害を受けました。
高萩で生まれ育った者の責務として
地元から行脚を続けている次第です。
この10年間、同じルートを歩いてきました。
同じルートをたどる理由は
復興の進み具合もさることながら、
その地域や住民の方々の雰囲気を
感じることができるからです。
どんな想いで日々暮らしておられるか、
そこが一番大切だと感じるからです。
この島は北茨城市の二ツ島。
島全体が津波をかぶり、草木が流れて
岩肌が丸坊主になってしまいましたが、
数年前から草木の「毛」が生えてきて
緑が戻りつつあります。
数年前、行脚の際に、
この付近で涙をこらえながら
手を合わせて私をじっと見つめる
若い女性がおりました。
言葉は交わさなかったけれど、
きっと被災されたのでしょう。
男性がおられます。
同じ北茨城市の国道沿いにある
地蔵堂です。地元の方々がお守り
されているようです。
慰霊の卒塔婆を持参して
海に流しているのですが、
この地蔵堂にも奉納しています。
お参りしていたら地元の方が来られ、
毎年その卒塔婆を壁に打ち付けて
ご供養されてるとの嬉しい声を
聞かせて頂きました。
震災初年、行脚の際に
海岸沿いに暮らす若いお母さんから
飲み物の接待を受けました。
震災時の苦労話を聞かせて下さり、
「これからも毎年、祈り歩いて下さるんですよね?」
と、哀願するような声をかけられました。
この時は、他県から来た仲間のお坊さんと
数名で歩いていたので、即答できませんでしたが
地元民の私だけは毎年歩こうと思ったエピソードです。
太鼓を叩き歩いていると
被災の度合いで
地域住民の反応が違います。
皆さん思い出すのも辛い、大変なご苦労を
されたのだから、悲しみを刺激するような
こんな行脚はしない方がいいのかな?、
とも正直思います。
それでも行く道ですれ違う
地域住民の反応を見ながら、
祈りを捧げてお題目を唱えております。
祈りは必ず届くと信じて。
大津波を受けた大津漁港で祈り、
震災で更地になった寺院跡で読経し、
地域の氏神様へ安泰の挨拶をして、
常磐線に乗って途中移動し、
甚大な被害にあった
四ツ倉の波立海岸で供物を流しながら
お題目を唱え、
駅に向かうタクシーの中で
運転手さんから地域の実情を伺う、
毎年の繰り返しながら、
様々な想いを抱いて帰路に着きます。
ともかく現地に来て見て、
冷たい海風を浴びながら
歩いてみたい方は、ご一報ください。