お坊さんの独り言

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蝋八唱題お断食修行

12月は別名・蝋月(ろうげつ)と呼びます。

伝承では、8日の早暁にお釈迦様が

悟りを開かれたそうです。

そこで12月1日から8日にかけて

仏弟子がご修行に励むことを

蝋八接心・蝋八修行といいます。

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日本山妙法寺・青梅道場にて

今年も唱題お断食修行を勤めさせて

いただきました。

お断食が目的ではなく、

食事をする時間を削っても

お題目を唱え続けることに専念する

ご修行です。

朝5時~夕6時半まで13時間半、

休みなく太鼓を叩いて、

南無妙法蓮華経を唱えます。

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その間、1日から3日までは

断食・断水です。

飢えは慣れますが、声を出して太鼓を叩いてるので

水が飲めないのは苦しいです。

4日の朝勤後に、やっと1杯の水が飲めます。

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この瞬間の感動は、

体験してみないと分かりません。

五臓六腑に清水が浸みわたっていく感覚です。

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続いて、気の抜けない作業が続きます。

丼1杯のお湯に梅干しを溶かした梅湯を

10杯ほど休みなく飲み続けて

胃腸を洗い流します。

しばらくするとお腹がグルグルしてきて

トイレで下し切ります。

いわゆる宿便を出すという作業です。

出し切ると、本当にスッキリします。

そして、生野菜やリンゴなどを食べて

胃腸の調子を落ち着かせて、

4日目は休憩します。

日中も野菜スープやソバ粉、サツマイモ等を食します。

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翌5日、6日は

再び断食断水で唱題修行です。

7日目は、また胃腸を流して

8日の早朝、悟りを開かれた成道会(じょうどうえ)の

法要を勤めて修行満行となります。

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今年も写真の牧野ご上人様と

二人でご修行しました。

16年前に初めてご一緒させて頂き、

ほぼ毎年一緒にご修行させて頂いております。

親子ほどの年齢差ですが、

牧野ご上人様のたゆまぬ精進ぶりに

気力体力ともに弱い私は力を頂いております。

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ご上人様の老齢に加え、義足の不自由なお体を

言い訳にせず、ご修行に励む姿は

法華経の行者といって差し支えないはずです。

2日目には、胃液がこみ上げてきて

洗面器に吐き出しながら、大声で

お題目を唱えておられました。

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我が命を、どう捉えるか?

法華経の経文をどう捉えるか?

お題目を唱えるとは、何なのか?

今年も8日間、ご修行の合間に

キレイごとや頭デッカチではない、

沢山の生きた教えを頂戴しました。

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今回のご修行は、例年にくらべ

寒さが身にしみた日々でした。

しかし、最終日8日は

雲一つない神々しいご来光と、

早春のような穏やかな気温で

素晴らしい満行を迎えることが

できました。

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蝋八ご修行は義務でも強制でもありません。

辛い御修行は避けたいのが人情で、

毎年、内心の葛藤があります。

 

 こんな言葉があります。

「仏教は外から壊されるものではない、

 内敵から崩れるもの。

 自分自身の怠慢や教団など内輪の

 堕落から壊されていく。

 だから、ご修行が必要なのです」

 

ご修行を満行して

帰路に着くまでの

心と精神の静謐な歓びは

お金やモノでは満たされない感覚です。

それは苦行を乗り越えた満足感ではなく、

良き師に導かれて、

お題目の信仰に自分を全投入した

その8日間を尊く感じられるからです。

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なぜ、南無妙法蓮華経

そんなに沢山唱えねばならないのか?

そもそもお題目・南無妙法蓮華経とは何なのか?

言葉や理屈では、いかようにも説明できます。

けれど、その本当の意味は

自分自身が声に出して唱えなければ

分かりません。

唱えたって分からない、

この世の命が終わるまで

分からないかもしれない。

それほど、単純なようで

どこまでも奥深いものが

お題目なのかもしれません。

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