地元の人間として
毎年3月11日には
高萩からいわき市まで
行脚をしています。
今年は東京池上で住職を勤める
兄弟子も参加くださり、
二人で歩きました。
朝から猛烈な風雨で
雨合羽着用で歩き始めました。
震災当時、寒さの中、水に浸かりながら
救助を待っていた被災者の方々が
どんなに辛かっただろうか、
雨に打たれ歩きながら想像しました。
北茨城市の大津漁港も
漁船が居並び、港も整備されました。
震災初年は右側に見える白い建物の上に、
漁船が打ち上げられていたのです。
あり得ない光景でした。
道中、心ある方々からお布施を
頂戴し、そのお布施でお神酒お供物を買って、
海岸部で読経供養の際に、
それらの供物を波間に捧げました。
電車移動で午後5時、波立海岸へ到着。
荒波に弁天島が突き出る
絶景の海岸です。
昭和44年頃には、浜辺で
ウニ売りも行われていたそうです。(写真・いわき市提供)
最後のご供養をさせていただきました。
供物を投げ入れ、読経が始まると
待っていたかのように
大きな波が押し寄せました。
小さな卒塔婆を流し、読経を終えると
静かな波に戻り、空には薄日が差していました。
毎年、この浜辺に立つと
なんともいえない厳かさを感じます。
建造物の復興は進んでますが
人心の復興は、どうでしょうか?
これは震災以前からの課題ですが
日本人全体の問題として
微力ながら私も取り組んでいきたいと
痛感しているところです。