震災以降、
3月11日には
茨城から福島まで慰霊の行脚をしています。
太鼓を叩きながらお題目を唱え
国道6号線を海岸沿いに北上します。
亡くなっており、行方不明の方もおられます。
甚大な被害を受けました。
北茨城市は「赤い靴」「しゃぼん玉」などの
童謡で有名な野口雨情生誕の地でもあります。
その一帯も被害を受けました。
二つ島という景勝の島があるのですが、
津波をかぶり草が剥げて、丸裸の岩肌に
なってしまいました。
7年かけて、わずかに緑が戻ってきました。
大津漁港。
現在は元の風景に戻りましたが
震災のあった年、
中央に見える白い建物の
屋上に大きな漁船が乗っかっていました。
ありえない風景です。
先ずは海岸へ降りて供養を行いました。
持参した卒塔婆と御神酒、お握りや饅頭を
海に捧げ、お題目をお唱えしました。
北茨城市のトンネルを越えると
高萩から北茨城の漁港へ入ると
匂いが変わり、
北茨城から福島へ入ると
空気が変わるのが分かります。
感覚的なものですが、
たぶん地元民なら分かる感覚だと思います。
勿来(なこそ)は、関所のあった歴史ある街。
勿来駅まで行脚して、
そこからタクシーで波立(はったち)海岸へ。
四ツ倉も津波で何十人も亡くなった街です。
防潮堤の護岸工事中でした。
今年は完成しましたが
道路から海が見えなくなりました。
左のお寺は臨済宗・波立寺。
波立薬師として有名な古刹です。
お寺も相当な損傷を受けたそうです。
お寺の目前に聳え立つ弁天島。
震災の年には、赤い欄干を渡って
島まで渡ることができました。
今は安全確保のため通行禁止です。
波しぶきをうけながら
奇岩に龍神様のお社が祀られており、
とても厳かな神域でした。
地域の漁師さんにとっても
信仰の砦なのでしょう。
午後4時、近くの海岸へ降りて、
最後の供養。
海鳥が静かに舞っていました。
四ツ倉駅へ戻る中で
タクシーの運転手さんが
仰っていました。
四ツ倉は津波到来まで40分も
時間の余裕があったそうです。
最初の警報で避難したけど
その後、落ち着いたので
戸締りや火の元の確認で
2度目に戻った方々が
飲み込まれたそうです。
その他、現地に足を運ばねば
分からない率直なお話を聞かせて
いただきました。
「聞き流して下さいね」と
云われたので、ここには書きません。
「しょうがねえべね」(仕方ないですよね)
地元の運転手さんと
同じ方言で言葉を交わし
心の距離を縮めました。
震災以来、毎年同じ道を歩き
同じ風景を見ていますが、
復興とは何を意味するのか?
歩きながら感じることが沢山あります。
理想やキレイごとではなく、
その地域で根を張り、暮らす方々に
本当に必要で、本当に心に添った
復興の形とは?、
そんな想いを繰り返しながら
祈り歩きました。