お坊さんの独り言

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ご出家の詩集

M上人様より頂いた詩集を

久しぶりに拝読、ここにその一編を

掲載させて頂きます。

先ずは、その巻頭言に記された先師の御言葉です。

 

「宗教は人間に礼拝を教えます。

 他人を礼拝する事を教えざる宗教は

 現代を救う宗教ではありません。 藤井日達

 

「人生の苦痛の百分の九十九までは、

 人は皆兄弟姉妹であるとのことを、

 忘るるより来る者である。 内村鑑三

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「自由人」

 

獄中に閉じ込められし囚人より

我をみれば

我は自由の身なり。

 

病臥に伏せし病者より

我をみれば片足なりとも

歩行できる自由人なり。

 

けれども

五体満足にても

ああでもない、こうでもないと

不平たらたらに生きる人は

わが肉体に縛られた

不自由人なり。

 

脊椎カリエスの為に

六尺の病床の中で

俳句と文を綴った

正岡子規は心の自由人なり。

 

結核

三十八歳でこの世を逝った

宮沢賢治は多くさんの

詩と童話を書いた。

 

賢治の心は

今でも滅することなく

宇宙を巡っている。

結局のところ

自由人と不自由人の別れ道は

心の在り様なり。

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三冊目の序文は

縁あって私が記しましたので

M上人様の人となりを知る上でも

ここに掲載させて頂きます。

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「M上人の風光」

 

御宝前で三敬礼を行う時には、

杖を支えに勢いをつけて立ち上がる。

ふんばりの吐息をもらしながら、

三回立ち座りをくり返す。

「座ったまま礼拝をしてもよいのでは・・・」

という側のお節介などお構いなく勤行に入る。

M上人の行に対する妥協しない

一貫した姿勢がここにある。

 

御上人のお題目の声は、

初めて耳にする者にとって

お題目と分からないような独特の響きがある。

 

「お題目は唱えるんじゃない、叫ぶんだ!」

 

その言葉通り、歓喜の雄叫びのような

叫びもあれば、哀調を帯びた音色もあり、

一度聞いたら忘れられない。

無明をぶち破って、三千大千世界を

一直線に突き抜ける魂の声・お題目。

 

古希を超えても

活火山のような情熱を失わず、

少年のような感性でモノを語る時には、

濁りのない澄んだ瞳を輝かせながら、

いっそう饒舌になられる。

大胆かつ繊細。

 

少子が心身ともに絶望の淵に立たされた時、

電話で相談した際にかけて下さった一言、

頂いたお手紙の一節、

薦められた書籍の一文、

そのどれもがストレートに心根に染みわたり、

深い悲しみの闇に光を差し込んでくださった。

 

単なる慰めではなく、叱咤激励でもなく、

同情もせず、けれど御上人の言葉は、

まっすぐ胸に届く。

それは御上人自身、深い闇をくぐり抜け

ご自身を底辺に置く生き様を

貫いている立場から発せられる言葉だからこそ。

 

「平和だからこそ、

 五欲に執着することも

 出来るんだな」

「片足を失ってから、

 初めて日蓮大聖人に対する

 信仰に気づいたよ」

時折、ハッと目が覚めるような事を仰られる。

 

「生きるとは?

 祈るとは?

 救われるとは?」

 

片足を失われて以来、

内村鑑三氏の聖書に深く親近し、

その本質に触れる中で、宗教や教義の違い、

組織の枠といった垣根からも跳躍し、

迷うことなく妙法の大海へ

飛躍していこうとされるM上人の現在がある。

 

三人目の子供(詩集)は、

より大きく深く生死・霊性の産声をあげている。

第三子のご誕生を祝福し、

日ごろのお導きに深く感謝申し上げます。

M上人様、我らの良き先達となり続けてくださいませ。合掌

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