1282年(弘安5年)10月13日、
午前8時頃ご入滅、聖寿61歳。
(今年の暦では11月30日に正当)
『立正安国論』の冒頭は
骸骨、路に満てり・・
と鎌倉時代の惨状描写から始まります。
日本人の10人に3人が
命を落としたという状況、
先の第2次大戦でさえ、
10人に1人という割合だった
そうですから、日蓮聖人が生きた当時は
想像を絶するものがあります。
『立正安国論』に始まり
『立正安国論』に終わるご生涯。
ある御僧侶から頂いた
お手紙にこう書いてありました。
「正法を行じて参りますと
必ず世間の魔障が競い、
勧持品の色読を体験せざるを
得ないというのは、
色読せざるを得ないという
体験でもあります」
「求道の師は、宗教界に無く
世間の日々厳しい生活の中で
育まれて行くという気が
致します。
けれども、また神仏という
絶対者を求めてやまない師も
『爪上の土』として実在するはず
でありましょう。
願わくば、そんな師と出会い
終生、求道の道を歩みたいと
願うばかりです。」