お坊さんの独り言

活動詳細はHP「妙法庵」で検索ください

お師匠さまの来訪

「道」と名がつくものには
必ず師匠が必要です。
師匠に弟子入りして、

起居振る舞いを
真似ながら道を学んでいき、
基礎をつくりあげます。

 

仏道修行のお師匠さまが
身延の道場に立ち寄って下さいました。
師のお寺から独立して以後、
今では年に数回しかお会いしないので
久しぶりに膝を交えて歓談できました。


読経をする師の後ろ姿を見ていると
重ねてきた齢を感じ、なんともいえない
感慨をもちます。

 

小僧時代、そして独立してからも

師匠には色々とご面倒をおかけしました。

今日、私が僧侶になれたのも

基礎をしっかり教え込んで下さった

師匠のお陰です。

 

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師は、親や先輩とは全く違う存在です。
ビジネスシーンのメンターとも
意味合いが違います。

「親子は一世

 夫婦は二世

 師弟は三世の縁」
というくらい、

出会うべくして

師弟関係を結ぶものでもあります。

 

人はそれなりの年齢になると、
指導されることが少なくなり、
自我ばかり大きくなって
人の意見というものが
鬱陶しくなる傾向があります。

 

師とは、そんな我欲まみれで
「分かったつもり」の大人を
指導して下さる存在です。
人生の軌道修正をつけて下さいます。

 

個人の尊厳・自由さも大切ですが、
人はそんなに尊くも賢くもありません。
滅私とは、決して自己犠牲の意味ではなく、
むしろ、我欲からの解放だと思います。
そこに師について学ぶ意味があります。

 

いくつになっても弟子は弟子。

 

そして、師から学んだものを
広く社会に還元していくことが
何よりの報恩だと思って
自称・不肖の弟子は
活動しております。

アド街ック天国・高萩

「柿の木に 一つ残りし 熟し柿」

中学時代、国語の先生が詠んだ自作です。

秋の句と思いきや、

「一つ残りし 熟し柿」なので

冬の句だそうです。

この時期になると思い出す一句です。

 

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写真は妙法庵の渋柿。

父が幼少の時から

生っていたというので

樹齢70年以上です。

何の手入れもしないのに、

毎年たわわな実をつけてくれます。

お爺さんの手のような

しぶい木肌に

樹木の逞しさを感じます。

 

妙法庵がある高萩市

テレビ東京アド街ック天国」で

取り上げられます。

11月4日夜9時放送です。

秋は花貫渓谷の紅葉で賑わうので

その様子も取り上げられるでしょう。

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花貫渓谷から車で一時間ほど

山間に入れば、日本三大瀑布の

大子町袋田の滝もあります。

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高萩市から30分ほど北上すれば

平潟漁港があり、これからの時期

冬の味覚・あんこう鍋も味わえます。

 

11月26日(日)は

妙法庵にて今年最後の

お経と法話の会を行います。

今回は日蓮聖人のご命日法要・お会式法要です。

高萩の秋を観賞がてら、

どうぞ妙法庵にもお参りください。

 

腎臓病を癒す瞑想

日本における腎臓病患者数は、

1300万人以上、
8人に1人という高い割合です。
腎機能が低下すると、人工透析に入りますが
透析は患者さんにとって心身ともに

負担が大きい治療です。
また、透析にかかる医療費も
莫大な額にのぼることは周知の通りです。

 

茨城県取手市でクリニックの院長を勤める
椎貝先生は透析回避を目指して、
あらゆる治療法を取り入れ、
その治療成績と、患者さん本位の対応は
絶大な信頼を集め、全国から多くの患者さんが
受診にみえます。
長年の取り組みで、透析に入らない患者さんも
増えているそうです。
椎貝クリニックのHPはこちら

 CKD(慢性腎臓病)外来の椎貝クリニック

 

厚労省は新たな補完治療と
医療費削減に向けて、

代替医療に取り組んでいます。
先生も保存療法の一環として、

瞑想の効果に注目し、治療に取り入れて、

臨床データを蓄積しています。

病院スタッフの指導の元、
現在も300人ほどの患者さんが
瞑想に励んでおられるそうです。

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私の父も患者として
お世話になっているご縁で
昨年より声をかけていただき、
患者さん向けの全国大会で
瞑想の実演をさせていただいてます。
医療の現場に、瞑想という仏教の根幹が
活かせることは、とても喜ばしいことです。

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昨年同様、腎疾患の分野で著名な
3人のお医者さんによる
講演の後、「病を癒す瞑想」と題して
30分ほど実演を交えたお話をしました。

お医者さんの講演の中で興味深いデータがありました。

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瞑想を行っている腎疾患の僧侶は、
同じ病状の一般人と比べて、
クレアチニンという数値が安定しています。
これは30年以上前の臨床データですが、
瞑想の効能を医学の分野で取り上げた
貴重なデータで、国際的に評価の高い
医学誌に掲載されたそうです。

 

腎機能は数値化できるので
瞑想による腎機能の変化を、科学的に
立証しやすい分野だそうです。

 

仏道修行の具体的内容は、
心身を健やかに調えるものばかりです。
この叡智を僧侶やお寺の中だけに
閉じ込めておくのは勿体無い、
もっと世間の人々に広く提供したい、
と願い活動してきた私には、このような
機会は坊さん冥利に尽きるものです。

 

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病院は生老病死の現場、
医療関係者は、そのエキスパートです
お寺は、死だけの現場?
お坊さんは、死のエキスパート?
だけであってはならないはずで、
私自身、これからも研鑽を積んで
ゆかねばと襟を正す想いでおります。

 

 

日本ヴェーダンタ協会・カーリープージャ

 

近代インドの聖者・ラーマクリシュナの

普遍的な教えは宗教・宗派を超え

全世界に真理の光を伝えています。

その日本支部が逗子市にある協会です。

HPはこちら

https://www.vedantajp.com/

 

あらゆる宗教を尊び、教えを乞う者には

門戸を開いています。

その正統な宗教性と神聖な雰囲気に

魅かれて、私も10年ほど前から

時折、お参りさせて頂いています。

御信者さんがつくるインド料理も

マイルドで美味しいのです。

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「よりによって排他的な

 日蓮宗の坊さんが

 なんでヒンズー教のお寺に?」と、

教条的な詰問をする人がいます。

 

その問いには、日本支部の初代会長が

立正大学学長で日蓮宗僧侶の

木村日紀師が勤めていたことを

答えとして返しています。

 

木村師は本物を視ておられたのでしょう。

 

さて、カーリーは、女性の鬼神。

法華経を守護する十羅刹女

鬼子母神もカーリーです。

豊川稲荷で有名な

狐にまたがる鬼神・ダキニ天も

カーリーですね。

女性の持つ底力は、男性を凌駕します。

そのパワフルな神様の祭典が

カーリープージャです。

法華経にも縁の深い神様ですから

お題目をお唱えしてきました。

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当日は在日インド人のご信者さんも含め

100名近い参詣者が神聖な祈りの空間を

共有しました。

 

この協会では、ご信者さん方が

総出で早朝より深夜に至るまで

無私のご奉仕をなされます。

お供物の飾りつけにしても

カーリーが喜んで召し上がれるよう

真心こめて盛り付けます。

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見返りを求めることなく、

行為の結果は、すべて神様に捧げるのです。

そして何よりも、純粋に信仰を保つ人々だから

私も一緒にいて気持ちが洗われるのです。

ここには大切な「何か」が感じられるのです。

 

たとえ古刹だろうと、有名だろうと

「何か」が欠如しているお寺には

沢山の人が集まっても

霊性が感じられない。

 

日本支部のご住職であられる

マハラジは、インドでの大学学長を辞して

単身、日本へ来られて

長年布教に努めてこられた御出家です。

その日々の積み重ねと

日頃の行いが、こうして御信者さんを

教導されているのだと思います。

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微力ですが、今年もお片付けの

ご奉仕をさせて頂き

カーリーの祭典が終了しました。

 

 

 

 

ご出家の詩集

M上人様より頂いた詩集を

久しぶりに拝読、ここにその一編を

掲載させて頂きます。

先ずは、その巻頭言に記された先師の御言葉です。

 

「宗教は人間に礼拝を教えます。

 他人を礼拝する事を教えざる宗教は

 現代を救う宗教ではありません。 藤井日達

 

「人生の苦痛の百分の九十九までは、

 人は皆兄弟姉妹であるとのことを、

 忘るるより来る者である。 内村鑑三

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「自由人」

 

獄中に閉じ込められし囚人より

我をみれば

我は自由の身なり。

 

病臥に伏せし病者より

我をみれば片足なりとも

歩行できる自由人なり。

 

けれども

五体満足にても

ああでもない、こうでもないと

不平たらたらに生きる人は

わが肉体に縛られた

不自由人なり。

 

脊椎カリエスの為に

六尺の病床の中で

俳句と文を綴った

正岡子規は心の自由人なり。

 

結核

三十八歳でこの世を逝った

宮沢賢治は多くさんの

詩と童話を書いた。

 

賢治の心は

今でも滅することなく

宇宙を巡っている。

結局のところ

自由人と不自由人の別れ道は

心の在り様なり。

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三冊目の序文は

縁あって私が記しましたので

M上人様の人となりを知る上でも

ここに掲載させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「M上人の風光」

 

御宝前で三敬礼を行う時には、

杖を支えに勢いをつけて立ち上がる。

ふんばりの吐息をもらしながら、

三回立ち座りをくり返す。

「座ったまま礼拝をしてもよいのでは・・・」

という側のお節介などお構いなく勤行に入る。

M上人の行に対する妥協しない

一貫した姿勢がここにある。

 

御上人のお題目の声は、

初めて耳にする者にとって

お題目と分からないような独特の響きがある。

 

「お題目は唱えるんじゃない、叫ぶんだ!」

 

その言葉通り、歓喜の雄叫びのような

叫びもあれば、哀調を帯びた音色もあり、

一度聞いたら忘れられない。

無明をぶち破って、三千大千世界を

一直線に突き抜ける魂の声・お題目。

 

古希を超えても

活火山のような情熱を失わず、

少年のような感性でモノを語る時には、

濁りのない澄んだ瞳を輝かせながら、

いっそう饒舌になられる。

大胆かつ繊細。

 

少子が心身ともに絶望の淵に立たされた時、

電話で相談した際にかけて下さった一言、

頂いたお手紙の一節、

薦められた書籍の一文、

そのどれもがストレートに心根に染みわたり、

深い悲しみの闇に光を差し込んでくださった。

 

単なる慰めではなく、叱咤激励でもなく、

同情もせず、けれど御上人の言葉は、

まっすぐ胸に届く。

それは御上人自身、深い闇をくぐり抜け

ご自身を底辺に置く生き様を

貫いている立場から発せられる言葉だからこそ。

 

「平和だからこそ、

 五欲に執着することも

 出来るんだな」

「片足を失ってから、

 初めて日蓮大聖人に対する

 信仰に気づいたよ」

時折、ハッと目が覚めるような事を仰られる。

 

「生きるとは?

 祈るとは?

 救われるとは?」

 

片足を失われて以来、

内村鑑三氏の聖書に深く親近し、

その本質に触れる中で、宗教や教義の違い、

組織の枠といった垣根からも跳躍し、

迷うことなく妙法の大海へ

飛躍していこうとされるM上人の現在がある。

 

三人目の子供(詩集)は、

より大きく深く生死・霊性の産声をあげている。

第三子のご誕生を祝福し、

日ごろのお導きに深く感謝申し上げます。

M上人様、我らの良き先達となり続けてくださいませ。合掌

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

M上人の詩集をご希望の方は

私宛にご連絡ください。

南アルプス市・切子六角堂祭礼

日蓮宗では

幣束を祭壇に祀り、

神仏を招来する儀礼があります。

明治の廃仏毀釈まで、

神道と仏教は互いに影響しあい

時には融合して、民衆に浸透してきました。

神道の幣束を仏教が取り入れたのも

その流れといえます。

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山梨県南アルプス市

六角堂祭礼は

切子という精緻な切り紙幣束を

奉納することで有名です。

日蓮聖人のご命日に行われた

年に一度の祭礼に、幣束の勉強も兼ねて

お参りさせて頂きました。

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沢登切子保存会」のHPには

切子について下記のような説明があります。

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 この「切子」は、美濃和紙を5枚~10枚程重ねて、

 図柄や模様などを「切り透かし」ていく

 まことに繊細な美しいもので、光に透くことから

 別に「おすかし」とも言われている。

 

 図柄や模様は、人物や花鳥風月など自由であるが、

 地紋として「麻の葉」を使わなければならないとされている。

 「切子」は、沢登の若者達によって作られるが、

 図柄を考え、仕上げるまで3ヶ月~半年もかかるので、

 その年の初めから制作に取りかかる。

 

 伝承によれば、今から三百数十年前の寛文年間

 (第六代将軍徳川家宣の頃)には、既に村人達が

 時の代官に献上していたとも伝えられている。

 「切子」は、祭りが終わる14日に、

 観音様のお礼や供物と共に区内全戸に配られ、

 家内安全のお守りとして神棚などに飾られ大切に保存される。
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お堂の周りには、地域の方々が

根気強く、長期間に渡って

切り上げた作品が祀られました。

小学生から大人まで、地域住民の力作は

職人の域です!

 

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堂内では役員の方々が

直会の酒を酌み交わし、

境内の出店には

子供たちの歓声がありました。

 

このような伝統行事を

連綿と続けている地域は

やはり神仏に守られると思います。

 

その土地に根付いた文化を

大切に継承する祭礼を見て

心が温かくなりました。